契約締結前の情報提供義務は「様式チェック」ではなく「業務フローの問題」
金融商品取引業務において、契約締結前の情報提供義務(金融商品取引法37条の3)は、長年にわたり「契約締結前交付書面を正しく作成しているか」という様式確認の問題として扱われがちでした。
しかし、近年の法改正や金融庁の考え方を踏まえると、この義務はもはや単なる書面作成の話ではなく、業務フロー全体の設計が適切かどうかを問う規律へと性格を変えつつあります。
本稿では、実務で見落とされやすい「業務フローとしての契約締結前情報提供」という観点から整理します。
契約締結前の情報提供義務の本質
金融商品取引法37条の3は、投資家が契約締結の判断をする前提として、必要な情報を十分に得られるようにすることを目的としています。
そのため、この義務は次の3点を満たして初めて実質的に果たされたと評価されます。
- 情報が契約締結前に提供されていること
- 情報の内容が、顧客の判断に必要な範囲で網羅されていること
- 顧客がその情報を理解できる状態に置かれていること
書面が存在するだけでは足りず、「いつ・どのように・どのような状態で」提供されたかが重要になります。
「一度渡したから足りる」という誤解
実務で多い誤解が、「過去に契約締結前交付書面を渡しているから、その後の契約でも足りる」という考え方です。
金融庁は、情報提供と契約締結の時点が大きく離れている場合には、たとえ1年以内であっても、契約締結に近接した時点で改めて情報提供を行うべきとの考え方を示しています。
この整理から導かれる実務上のポイントは明確です。
- 情報提供は「イベント」ではなく「プロセス」である
- 契約更新、条件変更、追加投資などの局面では、再提供要否を必ず検討する
- 再提供が不要と判断する場合でも、その判断理由を説明できる体制が必要
書面が正しくても違反になるケース
実務上、書面の内容自体は法令に沿って作成されているにもかかわらず、問題になるケースがあります。
典型例は次のような場合です。
- 契約締結前交付書面を作成しているが、実際には申込み完了後に閲覧できる設計になっている
- デジタル提供を採用しているが、顧客が内容を認識したと説明できる導線がない
- 形式的なチェックボックス取得のみで、説明体制が整備されていない
これらはいずれも、「書面はあるが、業務フローとして契約締結前の情報提供になっていない」状態です。
デジタル提供で特に注意すべき点
デジタル提供は利便性が高い一方で、運用設計を誤ると違反リスクが高くなる領域でもあります。
特に注意すべきなのは、告知型のデジタル提供です。
単にウェブサイトに情報を掲載しているだけでは、
- 顧客がその情報を見たのか
- 見ることができる状態にあったのか
を説明できません。
デジタル提供を採用する場合には、
- 顧客が情報に到達する導線
- 情報を認識したことを合理的に説明できる仕組み
- 説明を求められた場合の対応体制
まで含めて設計する必要があります。
説明義務は「理解したこと」を前提とする
契約締結前の情報提供義務には、説明義務が密接に結びついています。
説明義務は、単に書面を交付したり、「理解しました」というチェックを取ることを要求するものではありません。
顧客の知識・経験・財産状況・契約目的に照らし、理解されるために必要な方法・程度で説明することが求められます。
そのため、
- 一方的な動画視聴のみ
- FAQの自動表示のみ
といった対応では足りず、必要に応じて双方向で説明できる体制を整えておくことが前提になります。
内部統制として整理すべき視点
契約締結前の情報提供義務は、法務部門だけの問題ではありません。
実務では、次のような視点で業務フローを整理しておく必要があります。
- 契約締結前の情報提供を行う「起点」はどこか
- 契約締結に近接しているかを誰が判断するのか
- 再提供が必要となるトリガーは何か
- デジタル提供の場合、顧客の認識をどう担保するのか
- 説明を求められた場合の対応窓口と記録方法
これらが曖昧なままでは、どれだけ書面を整えてもリスクは残ります。
相談事例(よくある実務の落とし穴)
新規ファンドの募集にあたり、契約締結前交付書面を作成し、申込み画面にリンクを設けていました。
しかし、実際にはリンクを開かなくても申込みが完了できる設計になっており、顧客が情報を認識したかどうか説明できない状態でした。
このケースでは、書面の内容以前に、業務フローとして「契約締結前の情報提供」になっていないことが問題になります。
まとめ
契約締結前の情報提供義務は、「書面を作る義務」ではありません。
契約締結前に、顧客が判断に必要な情報を理解できる状態に置く義務です。
そのため、実務では、
- 書面の完成度
- 提供のタイミング
- デジタル導線
- 説明体制
を一体として設計する必要があります。
形式的な対応にとどまらず、業務フロー全体を点検することが、結果的に最も確実なコンプライアンス対応になります。

